「MEG ザ・モンスター」 |巨大ザメ映画として期待すると肩透かしな理由|原題:The Meg


 古代の巨大サメ「メガロドン」と「ジェイソン・ステイタム」が激突する「MEG ザ・モンスター」見てきました!

作品紹介

予告

あらすじ

潜水艇のSOSを受けて東シナ海の海溝に潜ったレスキュー・ダイバー、ジョナス・テイラー(ジェイソン・ステイサム)は、そこで信じられないほど巨大なサメ、メガロドン通称<MEG(メグ)>を目撃。しかし信じる者はひとりもおらず、彼は同僚を死なせた責任を取り、海難救助の一線から退く……。5年後、大陸から200キロ離れた海洋の研究施設。探査船が未知の海溝を発見し、責任者のスーイン(リー・ビンビン)ら研究チームは歓喜に包まれる。ところが、その直後、探査船は消息を絶ってしまった。未知の海溝だけに捜索は簡単ではなく、ジョナスに白羽の矢が立てられる。一度は断った彼だったが、探査船に海洋研究者の元妻が乗り込んでいたことを知り、復帰を決意して現地へ飛ぶ。そんな彼の前に、5年前に遭遇した全長23メートルの、あの巨大なサメMEGが再び姿を現わした! 巨大モンスターの猛襲をかわし、ジョナスは元妻や、先に救助に向かっていたスーインを、なんとか救い出す。MEGと呼ばれる、このサメは200万年前に絶滅したはずの史上最恐、最大の古代生物。研究所のスポンサーは、この世紀の大発見を儲け話に換えようと、"海底で起こっているのは殺戮だ!"というジョナスの主張も聞かず、スーインらに捕獲を命じた。仕方なくジョナスも加わり、MEG捕獲作戦は実行に移された。やがて彼らは知ることになる、それが大きな過ちであったことを。研究施設はMEGの暴走によって無残に破壊され、海洋に投げ出された彼らの身に危険が迫る。さらに悪いことに、MEGは暖流に乗り、海水浴客で賑わうビーチに接近していた。ジョナスらは、この危機を乗り切れるのか? 人類は、果たしてこの脅威から逃げ切ることができるのか?
(出典:Amazon)

所感

巨大ザメ映画として期待すると肩透かし

巨大ザメ「メガロドン」が暴れまわる――そんなわかりやすいエンタメを期待して観に行った人ほど、落胆が大きくなる作品。それが本作「MEG ザ・モンスター」です。

結論から言うと、完全に期待はずれ。なにが一番つらいかというと、「観客(私?!)が求めているもの」をことごとく外してくる構成にあります。

メガロドンが人を食わないというストレス

巨大モンスター映画において、脅威のわかりやすさはとても重要です。
特にサメ映画であれば、人を襲い、食らうことでその恐怖と存在感が際立つもの。

しかし本作は、その肝心の「ぱっくり感」がほぼ皆無。

終盤の海水浴場シーンなどは、本来なら阿鼻叫喚の「シロウオの踊り食い状態」パニックが描かれる絶好の見せ場のはずなのに、水面下を泳ぐだけでほとんど何もしない。

観客(私?!)の感情は「逃げろ!」ではなく、「はよ食え!」にシフトしてしまうという、まさかの事態に。

極端な話、途中からイルカみたいないいヤツなんじゃないかとすら思えてくる始末です。

ステイサム主演が示す安全設計な作風

主演がジェイソン・ステイサムという時点で、ある程度の方向性は見えていました。
さらに年齢制限なしという情報も加わると、どうしてもファミリー向けの“安全なモンスター映画”になる予感はあったわけですが、それが見事に的中。

結果として、海洋版ジュラシックワールドのような路線に寄ってはいるものの、同ジャンルの作品と比較しても満足度は低め。
特に「ランペイジ」と比べると、あちらのほうがしっかりと怪獣映画としてのカタルシスを提供してくれています。

スケール感のブレとご都合主義の連発

本作でもう一つ気になるのが、スケール感のブレ。

物語中では2匹のメガロドンが登場し、後半の個体はさらに巨大なはずなのに、終盤の海水浴場シーンでは明らかにサイズが小さく見える。
巨大船を丸のみできそうな存在が、小さないかだにかぶりつく姿は、どうしても違和感が拭えません。

さらに展開もご都合主義が目立ちます。
エサの音で進行方向を変えるシーンなどは、「いや今それやめる?」とツッコミたくなるレベル。

例えるなら、餃子を食べようとした瞬間に「唐揚げあるぞ」と言われて、わざわざ箸を戻すような不自然さ。
普通は食べてから次にいくでしょう、という話です。

キャラクター配置のちぐはぐさ

人物関係もやや整理不足。
中国人ヒロインがいる中で、元妻のポジションが曖昧で、物語上の役割が弱い印象を受けます。

モンスター映画では人間ドラマがスパイスになることもありますが、本作ではそのバランスがうまく取れていないように感じました。

制作の迷走がにじむ背景事情

本作は企画段階から紆余曲折が多く、その影響が作品にも出ている印象です。ウィキペディアには次のような経緯が記載されています。

脚本にはトム・ウィーラー(英語版)が起用されたが、彼の脚本が不十分なものだと判断したディズニーは新たにジェフリー・ボームを起用して脚本を執筆させた。しかし、ボームの脚本もウィーラーと同様の理由で却下された[11]。原作者のスティーヴ・オルテン(英語版)によると脚色が酷く、また社長が解雇されるなど混乱があり[12]、1999年までに企画は停止し、権利はオルテンに返還された[10]。
(出典:ウィキペディア)


え、これよりひどい脚本って!
なんか最低邦画「デビルマン」みたいで、逆にみてみたい気もします。

またその後の再始動時には、ホステルやグリーンインフェルノで知られるイーライ・ロスが監督候補に挙がるも、創造面での相違により降板し、最終的に別の監督に落ち着いたとされています。

2015年にワーナー・ブラザースがディーン・ジョーガリスを脚本に迎えて企画を進めていることが報じられた[14]。 同年6月までに、監督にイーライ・ロスが交渉中と報じられていたが[15]、彼は創造的な面での相違を理由に2016年初頭に降板し、ジョン・タートルトーブが監督を務めることになった(出典:ウィキペディア)

このような経緯を踏まえると、現在の無難な作風はある意味で納得できる部分もあります。

もし「イーライ・ロス」監督がとってたら、今作とは完全逆ベクトルの、そこまでせんでも・・的な、R18超食われまくりグロ映画になってそうな予感・・・・

ディープ・ブルーと比較すると見えてくるもの

同じサメ映画として「ディープ・ブルー」を引き合いに出すと、本作の弱点はより明確になります。

あちらは容赦なく人を襲い、キャラクターの退場も大胆。
その潔さが緊張感とエンタメ性を生んでいました。

本作にも、あのエッセンスの10分の1でもあれば、評価は大きく変わっていたはずです。

総評|期待値を極限まで下げれば楽しめるかも

巨大モンスター映画として観ると、かなり厳しい出来。
観客が求めるカタルシスが不足しており、全体的に“安全運転すぎる”印象が強い作品です。

ただし、最初からレベルの低いジュラシックパークくらいの気持ちで観れば、それなりに楽しめる可能性もあります。

人によって評価が分かれるタイプの作品ではありますが、個人的には、同ジャンルならB級全開のサメ映画のほうが潔くて好みでした。

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